気合い不足 ― 2021/01/16
なんだか気合いが不足しているのである。
こうなってしまった原因は、自己分析によると先日の通院の結果だと思うのだ。
ここまで10ヶ月近く休養していて、そこからあと1ヶ月延びたところでどうというわけでもないのだが、やっぱり前向きな意欲を削がれてしまったような気もするのである。
もちろん医師の豊富な経験からみれば思うところはあるのだろうし、このご時世なのだから社会に放たれたところで苦労するのは目に見えているのだから傷病手当をもらいながらのんびりすればいいのにと思うのが普通なのだろう。
というわけで、気合いをいれてのんびりするぞぅ!(空元気)
通院と減薬 ― 2021/01/13
現在の通院は月に一度である。
通院ごとに近況を報告し先生の指導を受けるのであるが、今回は通院時に気分が良く、先生ともいろいろと離すことができた、そろそろ仕事に復帰したいことも含めて。
ただ、世の中が新型コロナでこんな時勢であるので、就活でつまづいて病気が再発するのを避け、あくまで手探りで進めるようにアドバイスを受けたのである。これだけ書くとなんだか出ばなをくじかれたようにも思えるのだが、一方で毎日飲んでいる薬の量が今回からまた減ったのだ。これはうれしい。
できる理由、できない理由 ― 2021/01/09
自分がうつ病になってから変わったことだが、「この人はなぜこのような言い方をするのだろう」ということを以前より気にするようになったのである。というより以前が気にしなさすぎたのかもしれないが。
そして最近気になるのが「できない理由を列挙する人」である。
何か大きな壁にぶつかったり、または新しいことを始めようとするときに困難が伴うことはけっこうあるものだが、それをどう対処するかは人それぞれだろう。そしてその選択肢によってその後の人生が変わってくるのである。
もちろん易きに流れるのがいけないわけでもないし、または常に困難な道を選んだりするのを良しとするわけでもないが、その際にわざわざネガティブな理由を列挙して、しかもそれを他人に伝えようとするのはどうなんだろうなと思うのである。
もちろん苦しい心境を吐露することにより楽になりたいのは分かるが、選択肢はその裏にポジティブな理由が隠れている場合もかなり多いと思うのである。
自分がそうなっていないか、常に注意していきたいなと。
自分が期待すること、人に期待すること ― 2021/01/06
自分が人生に期待することはなんだろうか。「自己実現」とか「夢を叶える」なんていう20代のバックパッカーじみた言葉を並べるのは簡単だが、40代ともなるとそんなことも言っていられないのである。
会社で働き始めて「自分はこんなに頑張っているのに評価されているのだろうか」ということを思うことがよくあった。しかしそれが自分の希望通りに報われることがないということに気づくのにはかなりの時間を要したのだ。
所詮会社というものは、誰かの都合でつくられたもので、いくら会社のトップが「社員の皆さんのために…」などという甘言を並べ立てたところで、トップや株主が最優先されるのは当然のことなのである。
それに気がついたのは今回辞めた大企業に転職する前の会社を辞める時であった(遅い)。
では結局どうすればいいのか、結論が出ているわけではないが、今の自分はこう考えている。
すくなくとも理系(工学系)の人間にとって会社は「利用するもの」と考えるべきで、「会社と対等な関係である」とか「会社の中で評価されたい」などと思って努力するのは多くの場合で徒労に終わる。
私に取って理系(工学系)であることの武器は、小さなお金を短期で生み出せることでしかないし、これは労働力の対価ほどにしかならない。
しかし労働力の対価として生み出されるお金は、当然のことながら労働力以上の対価を生み出せないわけで、今回の私のように働けなくなることがあると困窮してしまうのである。
そこで次のような自己パラダイムシフトを起こす必要が生じる。
「次のような」などと偉そうなことを言っているが「金持ち父さん」と同じことをすればよいのだ。自分が動かなくても収入につながる手段を少しずつ積み重ねることである。
「そんなこと当然だし、知っているよ」と思われるだろうが、ここでも理系(工学系)であることを活かさなければならないのだ。工学系の人間は各分野毎のエキスパートであるから、その分野においては文系人間とは一歩違った視点を持っているはずである。つまり「光学系の知識・見識」に「お金を働かせる」をミックスさせるということだ。
たとえば建築系を例にとれば、建築物を鑑定する眼をすでに持っているという観点で、一般の人が不動産投資を行うより有利な立場にいるのは自明である。しかし多くの人は踏み出さないのもまた事実なのだ。
このようにあくまで自分の力で働くようにすることが当面の「自己実現」なのであるが、そんなことばかり考えているといつのまにか「他人に期待しない自分」になっていることに気づいたのであった。これについてはまた別の記事で書いてみたい。
パワハラの件 ― 2021/01/06
どこかの記事でも書いたような気がするのだが、今回このように長期の療養をしている原因はパラハラなのである。
言い方によっては直接の原因は自分のうつ病であり、パワハラはそのきっかけに過ぎないのかもしれないのではあるが、パワハラがなければ発症しなかった可能性は高いわけで、自分としてはパワハラを原因としたいのである。回りくどいな。
しかし、これだけ世間が各種のハラスメントに敏感になっているのに大企業でパワハラがあるのかと思われるかもしれないが[誰が?]、たぶん表立って組織が関与するパワハラについてはかなり減っているのではないかと個人的には思うのである。では何が残っているのか、それは個人によるパワハラなのである。
クラッシャー上司という言葉があり、自分の直属の上司がまさにそれであった。
その上司はものすごく仕事ができるのであり、それこそ人の2倍も3倍も結果を出しているし、知識や勉強量も半端ではないのだ。ただし、仕事ができる人間が必ずしも人間として優れているかといえば否である。
その上司から自分が何をされたかをここで述べるにはまだ心が落ち着いていないのだが、Wikipediaのクラッシャー上司の項に書かれていることに大体は合致しているということだけは間違いなく言えるのである。
この上司は現在の会社にはなくてはならない根幹の一部を握っているので、簡単にクビになることはないだろう。私が辞めた今、次に誰が標的になっているのだろうか。気の毒に思うばかりである。
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